学生日本向上委員会

学生による学生のための学生のブログ

遠きは花の香近くは糞の香

夏の爽やかな風の吹く天気のいい日。スタバの一角でカタカタと無言でキーボードを打ち続けていると、ふと自分は何をしているのだろうと考える。周りには女子大生と思しき女子が溢れかえり、恋の話に花を咲かせながらダークモカチップフラペチーノか抹茶フラペチーノを飲んでいる。色で言えばピンクだ。淡いパステルカラーの一面のピンクに、濁った灰色とも紫ともつかぬ異色が一点。強いて言えばダブグレイかローズグレイか。窓際に押しやられたそんな鬱々とした気分が、シェイクアイスバレンシアコーヒーの氷をより一層早く溶かし、炎天下の肉体労働者のようにコップの表面をじわりじわりと濡らしていく。そんなことはどうだっていいのだが、こんなクソ暑い日には、クソの話をしようと思う。

 

 

 

 

クソには色々ある。なにもうんちだけがクソではない。目くそに鼻くそ耳くそ、クソ野郎まで、世の中を彩る構成要素には実はクソが多い。

私たちの体から出るものは、ほとんどがクソだ。目から出す目くそ・鼻からでる鼻くそ・口から出る歯クソ、そして肛門からでるクソ。すべて身から出たクソである。また我々は、悔しい時もクソを出す。試合に負けて「クッソ〜悔しいっす!」などと話す選手を地上波のTV放送で流すのは、ほとんどTVで脱糞シーンを流すことと変わりない。というか口からクソを脱しているということであるため、れっきとした脱糞シーンだ。ちょっと糞に対して寛容すぎではないか。

こんな話をしていると、胸糞が悪くなる人もいるかもしれない。胸糞とはなんだ?まさか人間は胸の中にもクソを持っているというのか?だとすれば、我々の体はほぼクソで出来ているということになるじゃないか。むしろ体内の非クソを探す方が難しいよ!

「クソ」という言葉は、汚い・禁忌されるべきものというイメージがある。たしかに糞は食すことは難しいし、衛生上よろしくもない。しかしみんな自分の鼻くそを食べて大人になるというのもまた事実。クソはなにも悪いものというだけではないのである。

それを象徴するかのように、糞を冠した食べ物も存在する。最高級ウニのバフンウニや奈良の鹿の糞チョコ。動物園ではゴリラの糞というお土産もよく目にするようになった。また、静岡にある星の糞遺跡なんか、もう「星のクソ」と言ってしまっている。

また我々は程度を強めるためにクソを使ったりもする。「うわ〜クソかわいいんだけど!」「これクッソうめー!」みたいに、「すごく」では言い表せないレベルのすごさをクソで表現する。

[とても]<[すごく]<[クソ]=最高!

つまりクソは最高なのだ。愛の告白もごく普通に好きと伝える場合より、「くそ好きです。くそ合ってください」と心よりもくそを込めて伝えた場合の方が成功の確率は3.8%~5.2%向上すると一部の研究機関では発表されている。(不倫関係にある場合は6.5%~12.3%向上見込)

つまりクソは正義なのだ。正義であり生命の源であり最高。生きるか死ぬかクソかを選べと言われたら、私は迷わず生きることを選ぶだろう。当然の選択だ。

そして最後に、こんなクソ記事を最後まで読んでしまったあなたが一番のクソ野郎だということをお伝えして、祝辞の言葉とさせていただきます。

くそお世話になりました。

 

f:id:gakuseijapan:20160802180548j:plain(象の糞)

 

 

今日の一曲

Stronger / Clean Bandit